復讐は正義理解しない者を拒絶する。同意しない者を排他する。 首肯しない者を弾劾する。 それが正しさということだ。 正しい正しくないにかかわらず 悪は必ず勝つんだよ!! 悪にも事情があり。悪にも家族がいる。そんな現実に突き当たったとき、それでもなお、迷わず正義を貫ける人間などそうはいない。いたとしても、それは最早正義とは言えないだろう。究極的に言って、正義と悪は対立軸では語れないのである。二次元論じゃないし、人間論でもない。 人間、全ての他人に対して常に平等であることはできないのだ。誰かの味方をすることは誰かの味方をしないということで、誰かの味方になるということは誰かの敵になるということなのである。 正義の味方は。正義以外の味方を決してせず。そして正義以外の敵だ。そこには偽るべき要素は何もない。つまるところ、正義とは。全員に対する裏切り者なのだ。 「だけどな、悪党なんて、むしろ少数派だ。究極的に悪に徹せられる奴はそうはいない。美学も正当性も持たずに悪党でいることに、大抵の人間は耐えられない。だから自分なりの正しさを打ちたてちまう」 「だからさ、大雑把に言って正義の敵は、別の正義だ」 強さは武器になる。弱さも弱点になる。正しさなんて、どうでもいいことだ。悪が悪いとは一概に言えない。正義の対極たるはずの悪だけが――正々堂々と、徒手空拳で戦っている。 「必勝法」ってのは卑怯なようにできている。卑怯とは縁遠い存在なのさ」正義が必ず勝つのなら、悪は必ず負けると偽善者はいうが現に栄えている。善意の栄えた例はない。 「正義の敵にされちゃったとき。何にも悪いことしてないのに、むしろ自分は正しいつもりなのに、それでも正義が敵に回っちゃったときは、どうすればいいんだ?」 卑怯な手を使ってでもねじ伏せなければならないだろう。 |